2016年10月の演奏会プログラムノート 曲目
Symphonic Fantasy 交響的幻想へ
J. ブル ファンタジア、インノミネ
17世紀初頭、フレスコバルディと共に卓越した鍵盤楽器奏者および大変な非常識人として名を馳せました。その天才的音楽ゆえ毎回登場です。
F. J. ハイドン ファンタジア ハ長調
「気まぐれがもたらした最上の悦楽」彼の鍵盤楽曲に対する最大の賛辞です。ピアノのための楽曲ですが、チェンバロで弾いても楽しいのがハイドンたる所以です。
J. S. バッハ ゴールドベルグ変奏曲より
Aria.
Variatio 3. Canone all'Unisuono, a 1 Clav.
Variatio 10. Fugetta. a 1 Clav.
Variatio 13. a 2 Clav.
Variatio 16. Ouverture. a 1 Clav.
Variatio 17. a 2 Clav.
Variatio 22. a 1 Clav.
Variatio 25. a 2 Clav.
Variatio 29. a 1 o vero 2 Clav.
Variatio 30. Quodlibet. a 1 Clav.
L. v. ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調 Op.92 F. リスト編曲
ベートーヴェン中期の大問題作です。昨今のアニメおよびドラマの「のだめカンタービレ」で大々的に取り上げられたため、以前とは比べものにならないくらい有名になりました。それを置いても、かつてよりワーグナーが大絶賛している一方ウェーバーは目を白黒させてあっちを向いてしまうように、評価は極端に分かれてしまう曲なのです。何しろ怒濤のリズムです。聞いているだけでも勝手に手足が動き出します。演奏しようものなら椅子から立ち上がって踊り出しそうです。全楽章通して駆け抜ける狂気と原始の祭りが感じられます。さらに輪をかけているのがリストによるピアノ編曲です。正直に言って人間業ではありません。演奏会の後、皆さんに帰宅する体力が残っていることを祈っております。
佐藤 裕一
コンサートに寄せて メリーミルクの眩暈
またまた大好きな澁澤龍彦の「胡桃の中の世界」から今回の演奏する曲とぴったりの言葉を発見しました。フランスの詩人であり民族学者でもあるミシェル・レリスによる1930年代末の告白録『成熟の年齢』は、娼婦ユディットと貞淑なルクレティアという相反する女性のイメージをめぐって書かれた断章形式の自伝的作品でありますが、そのなかの「無限」と題された一節をご紹介しましょう。
「僕が無限の観念とぴったり触れあったのは、オランダの商標の付いた、僕の朝食の原料であるココアの箱のおかげだ。この箱の一面に、レースの帽子をかぶった田舎娘の絵が描いてあったのだが、その娘は左手に同じ絵の描かれた同じ箱を持ち薔薇色の若々しい顔に微笑みを浮かべて、その箱を指さしていたのである。同じオランダ娘を数限りなく再現する、この同じ絵の無限の連続を想像しては、僕はいつまでも一緒の眩暈に襲われていた。決して消滅することのない彼女は、からかうような表情で僕を見つめ、彼女自身の描かれた箱と同じココアの箱の上に描かれた、自分自身の肖像を僕に見せるのだった。」
レリスが飲んでいたのは、当時家庭で一般的だったドロステ・ココアで間違いないと思いますが、今でも無限ループして描かれる再帰的な表現でそのココアの箱を飾っています。また、このような表現をドロステ効果と呼ぶのだそうです。
レリスの『成熟の年齢』を読んだ澁澤は似たような経験を描いています。それがメリーミルク(明治メリーミルク 397g 加糖練乳 牛乳、砂糖とあります)の缶。その缶に同じようなからくりがあるのを皆様ごぞんじでしょうか? どちらも現役の商品ですのでスーパーなどに行ったときじっとご覧ください。
プログラムの始め、ブルのファンタジアやインノミネで感じるいつまでも続くように感じる連続でまず眩暈を感じていただいて、バッハでは何回も繰り返される和声進行で、極めつけのベートーヴェンの交響曲第7番では後から後からどんどん出てくるリズムの中で無限と思われたお祭りの頂点が来るのを味わってください。
10月のはじめ、秋になりそうな気配の夕暮れ時にふと、ウィーン・フィルの演奏するベートーヴェンの交響曲第7番を聴きながら、猫の尻尾の動きを楽しみながらこんな事を思ってみました。
岩淵 恵美子