2014年5月の演奏会プログラムノート 曲目

Romantic Fantasy ロマン派への原点

C. P. E. バッハ ソナタ ト短調

 今年はめでたくもC.P.E.バッハ生誕300年記念の年です。1746年は彼がフリードリヒ2世のもとで宮廷楽団員から王室楽団員に昇進した年であり、ポツダムのサンスーシ宮殿が使われる前年でもあります。ジルバーマンのピアノはまだ納品されてないか、されたとしても直後でしょうから、この頃の音楽はクラヴィコードで作曲されチェンバロで弾かれていたと思われます。

R. A. シューマン
「子供の情景」から
第1曲 見知らぬ国と人々について 第7曲 トロイメライ 第11曲 おどかし 第12曲 眠りに入る子供
「幻想小曲集」から
第1曲 夕べに 第2曲 飛翔 第3曲 なぜに 第6曲 寓話 第8曲 歌の終わり

本日の曲はいずれもシューマン27歳の頃、師匠の娘クララ・ヴィークとの婚約中に作られています。二人の結婚に対して師匠が大反対していたため1839年には訴訟に持ち込み結婚にこぎ着けました。「子供の情景」は子供のための曲ではなく「子供心を持ったシューマンがクララを想いながら描いた情景」らしいです。夢の始まりから覚醒まで、そして終曲はクララとの結婚式をイメージしたという「幻想小曲集」。寝ても覚めてもクララだった頃のシューマンを抜粋して演奏します。

J-Ph. ラモー コンセール用クラヴサン曲集 第3番イ長調(鍵盤楽器独奏版)

ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバを伴ったチェンバロ曲がオリジナルなのですが、ラモー自身による鍵盤楽器独奏版がサンプルとして5曲だけ作られています。それ以外はサンプルを参考に自分で何とかしろ、とも書いてあります。今回の演奏では2曲目の"La timide"がラモー自身による編曲、1、3曲目は私が自分で何とかしたものです。

J. ブル ファンタジア、インノミネ

17世紀初頭、フレスコバルディと共に卓越した鍵盤楽器奏者として名を馳せました。大変非常識な人としても有名ですが、その音楽は天才的であり他者の追随を許しません。

L. v. ベートーヴェン ピアノソナタ ニ短調 「テンペスト」

1802年はベートーヴェンが32歳、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた年です。その数年前から現れた難聴の症状が悪化し、とうとうこの年ほぼ聴覚を失ってしまったため音楽家としての将来に絶望し自殺を考えたのですが、持ち前の精神力でその危機を脱出します。「テンペスト」はその顛末のさなかに作られた曲の一つです。「月光」などと同様この曲の題名も本人によるものではありません。弟子のシンドラーがこの曲の解釈について尋ねたとき、シェイクスピアの「テンペスト」を読め、と言ったためと言われていますが、例によってシンドラー関係のお話はあくまでも話半分に聞いておいた方が良いでしょう。
佐藤 裕一

コンサートに寄せて 「サイレント・マイノリティ」より

 今日は5月21日、10日後にリサイタルが迫っています。この時期は我慢することがいろいろ。裏山の登山、庭の雑草取り、お刺身を厚木に買いに行くこと、中華街でダールーメンを食べること・・・。しかしそんなこととは次元の違うすばらしいお話をひとつ。
 塩野七生さんの著書『サイレント・マイノリティ』の中の「ある脱獄記」の主人公ジョゼッペ・ピニャータのすばらしい脱獄法をお伝えします。17世紀末のローマ、枢機卿の秘書であった彼は一生困らない年金も確保している裕福な男でした。あるとき歩いているところを突然マントを被され異端裁判所に連れて行かれました。毎日の拷問、取り調べの中で、よ〜しいつかは!と脱獄の意思を固めていきました。といっても壁の煉瓦は2メートルの厚さです。一体どうやって・・・。
 彼が牢生活で必要に応じて収集したもののリストを発表しましょう。 拾ったもの:釘、漆喰のかけら。看守からもらったもの:炭のかけら、紙(ミサで見た聖母子像を書くため)、聖母子像の「藁細工」に必要な藁、鋏、糸、糊、絵具、小刀!。食事のたびに供されるサラダ用の酢を水入れ用の壺に少しずつためました。
 3年目に入り恩赦の希望が絶たれたとき、腰痛を装い医者からコルセット(中に鉄輪が縫い込まれている)をゲット。役者はだいぶそろいました。煉瓦壁は2メートルありましたが、煉瓦天井の厚みは80センチ!。独房の上階に住む僧が留守になる統計を2ヶ月かけて取りました。そして鉄柵なしの窓が開かれているのも確認しました。これで予定も立ち脱獄の準備が始まります。
 夜、天井の煉瓦の目地漆喰に酢を吹き付けて溶かしながら、鋏と小刀と釘を使って削り取り、コルセットの鉄輪を伸ばして作った道具を使い煉瓦を外していきます。空いた天井にはデッサン用の紙を糊で貼り絵具でそれらしく描きます。外した煉瓦はトイレに持って行き捨てます。1年後、1枚分の煉瓦を残して実行の夜を待ちました。シーツを裂いてロープを作り、羊飼いになりすますためのポンチョも毛布で仕立て、手ぬぐいを縫い合わせて袋も作り小道具を入れました。めでたく地上に降りたときの喜びはどんなものだったことでしょう。ピニャータの年齢は44歳、楽しい人生はまだこれからです。
 ところで肝心なお話はここからで、脱獄に向けて牢生活の中で特に鍛錬していたことがあります。一つは足腰の訓練、ミサでも駆け足で行く・・・私も走るの大好きで毎日5キロ走ったり歩いたりしています。もう一つは脳の訓練、読書も書き物も許されていなかったので、食事用の小机の上に漆喰のかけらで鍵盤を書き、知っている限りの曲を毎日練習していたのでした。17世紀末、イタリアにはすばらしい鍵盤曲が溢れていました。ということで鍵盤を弾いていれば頭が良くなるとまでは言わないまでも、衰えることを防げるという証明でした。
岩淵 恵美子


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