2011年10月の演奏会プログラムノート 曲目

Romantic Fantasy ヨーロッパ400年間の持続する情熱

F. J. ハイドン ソナタ ロ短調

 C.P.E.バッハの最も正統的な後継者を自他共に認めていたのがハイドンです。「気まぐれがもたらした最上の悦楽」と言うのが彼の鍵盤楽曲に対する最大の賛辞になるかと思っています。今回はその中からチェンバロを使用していた時期の傑作をおおくりします。

J. S. バッハ 「フーガの技法」より コントラプンクトゥス 1、9、18、汝の御座の前に、われ進み出で

 バッハの Fantasy と言えば「半音階的幻想曲」につきるのは事実です。ですが、厳格なフーガにおいても格段な幻想性を求めていたように思います。「フーガの技法」もその一つですが、本来どのような構成だったのかについては未だにはっきりとした答えは出ていません。未完のフーガとして有名な「コントラプンクトゥス18」は「フーガの技法」に含まれないと考えている方も大勢いらっしゃいます。「コラール 汝の御座の前に、われ進み出で」に至ってはまったく関係ないかも知れません。ですが、今回目指しているのはおよそ異なった視点からのアプローチになります。バッハの死後、次男のエマヌエルと妻のアンナ・マグダレーナの尽力により、ドラマティックな構成で出版された「フーガの技法」ですが、それを「バッハの家族による、バッハ自身の曲を使用した、バッハを偲ぶモニュメント」として考えてみたのが、今回の「フーガの技法」です。

L. v. ベートーヴェン ピアノソナタ ハ短調 「悲愴」

 ベートーヴェン初期の代表作、かつ数少ない自身による標題音楽です。ロマン的なピアノ曲の原点とよく言われていることは、必ずしも正しくはないのですが、彼にとっての感情表現のターニングポイントになっているのは事実です。

J. ブル インノミネ、ファンタジア、半音階的ガリアルド

 ジョン・ブルはエリザベス1世の庇護を受けて恵まれた職場環境にあったのですが、本来の性癖は隠しようもなく「できちゃった婚」や姦通罪と言ったありがたくない評判とともに海を渡りブリュッセルに逃亡してしまい、以後二度と母国に帰ることはありませんでした。古来より音楽家は女たらしだったのでしょうか。

E. H. グリーグ ホルベルク組曲

 ノルウェー、ベルゲン出身のグリーグが、同郷の先人ホルベア(1684-1754)を記念する祝祭のために作曲した物の一つです。当初ピアノ独奏曲として作られましたが、1年後自身によって弦楽合奏のために編曲されています。自身のコメントでは「ホルベアの同時代人だった、フランスのクラヴサン奏者達の組曲をモデルにさせてもらった」と書いているそうです。ノルウェーのアイデンティティとかねてよりドイツロマン主義に傾倒していたグリーグです。内に秘めたその情熱を感じていただければと思います。
佐藤 裕一

コンサートに寄せて 「音符を食う虫」

 九月なのに、まだまだミンミンゼミがたくさんピアノに合わせて鳴いている自宅で、はたと思いついたことがあります。それは澁澤龍彦の「ドラコニア綺譚集」のなかの「文字食う虫について」を読んでいるときのことでした。
 ここからは澁澤が「五月の頭の中まで雨後の茸がはびこり出すような、なんともいえない不快な陽気な一日」に「衣魚(シミ)」に出会ったお話です。
 トルクワート・タッソーの「エルサレムの解放」第十歌の第六十六節を読んでいた時のことです。最後の行の最後の単語が欠けていることに気がつきました。
 「魔女が本を読み出すと、私の意志と望みに変化がおこり、生命とからだが移ろいゆくのを私は感じた。(以下少し省略しまして)私は小さくちぢまって、皮膚に鱗が生えしげり、一転、人間から・・・と化していた。」
 すなわち、魔女アルミーダが魔法書を持って呪文を唱えると十字軍の騎士たちがたちまち自分の意志も望みも関係なく、次々に水中に飛び込んでしまい、人間から・・・に転身。と言うところなのですが、肝心の部分・・・がシミに食われているので、はたして「魚」に転身したのかどうかはわかりません。と言う場面なのです。
 欠けている文字を考えているそのときに銀色の魚のような虫が通り過ぎました。これがキララムシ、いわゆるシミであったのです。この後澁澤と虫眼鏡の中に捕らえたシミとの対話が始まります。白い紙はおいしくないとか、おいしい文字とまずい文字があること、特別に好ましい文字があることなど。実に、シミの声はヒグラシが人間の言葉をしゃべるとしたらと思うくらい美しく澄みきっていたそうです。澁澤はその特別に好ましい文字をシミから教えてもらう交換条件として、虫眼鏡から解放することにしました。解放の瞬間「Un pesce」という言葉を残して銀色の虫は彼の視界から消えていきました。ちなみに Un pesce とはイタリア語で魚のことです。
 このすばらしいからくり、巡り合わせ!
「シミ」になれば音符が食べられる、そうすれば作曲家の音符を食べて彼らが考えていたことがすべて解るのでは、という不思議な考えに取り付かれてしまったのです。
 今日は皆様も銀色の虫になったおつもりで一緒に特別においしい音符を召し上がっていただけますよう・・。
岩淵 恵美子


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