1999年5月の演奏会プログラムノート 曲目

ヴォクスホール・ガーデンズ 18世紀ロンドンの庭園音楽会


18世紀のなかば、ロンドンではいたるところにプレジャー・ガーデンと呼ばれるものができました。言ってみれば何のことはない、自然に親しむことを目的とした庭園だったわけですが、ヴォクスホール・ガーデン(某由緒ある音楽事典の日本語読みはヴォクソル)はその中でも最大規模を誇っていました。場所は今で言うランベスの近く、ウェストミンスターに橋が架かるまではボートでしか行けなかったようです。ちなみに現在、当時の様子を知るよすがはまったくないそうですが。そんなところにある庭園が何で有名になったかと言えば、1732年に始められた音楽会のためといっても過言ではないでしょう。野外音楽会といっても一流の音楽家たちによるものでしたので、それを目当てに安くはない入園料(少なくとも本日の入場料の3倍程度?)を払って裕福な人々が集まりました。いつの頃からか音楽会はシーズン中(6月から9月まで)天気が良ければ野外のロトンダで、雨が降っていたら室内のホールで毎夜盛大に行われるようになります。かの有名な「バッハ・アーベルコンサート」もヴォクスホールで行ったのがその始めといいます。場所が場所ですから、20〜40人くらいのオーケストラによるシンフォニーやコンチェルト、コンサート・アリアなどが主な出し物になりますが、小編成のアンサンブル、バセットホルンのトリオなどといったものも演奏されたようです。当時のロンドンの人々の好みか、はたまたヴォクスホール・ガーデンの経営者ジョナサン・タイヤーズ(Jonathan Tyers)の趣味か、まとめ役のオルガニスト、ジェイムズ・フック(James Hook)の独断か、作曲家にはある程度傾向が見られます。ちなみに1790年当時よく演奏されていた人々を挙げてみますと、ハイドン、ヘンデル、プレイエル、クリスチャン・バッハ、アーベル、シュターミッツといった外国の人たちが筆頭にきまして、自国のアーン、ボイスといった人たちは上記の外国勢に比べるとあまり多くありません。何はともあれ、今回の演奏者は2人ですから、当時のヴォクスホール・ガーデンから見れば例外的に小さい編成です。むろん、シンフォニーやコンチェルトといったにぎやかのものは対象外な訳ですが、逆に2人だからできる庭園音楽会を目指してみようと思います。もちろん当時の経営者や、まとめ役の人たちとも多少相談はしていますが。

コンサートに寄せて


C.P.E.Bach(1714-1788)曰く、「ハイドンは私の著書を完全に把握し、それを役立てる事を心得ている唯一の人物だ」。この言葉を裏付けているかのような今日のハ長調ソナタは、(1739-1791)が音楽美学考(1806)の中で言うところの「ハルモニアの女神が暗示を与えたファンタジー溢れるアンダンテ」で始まる。彼、シューバルトがこのように感じた所以はやはり旋律の稀にみる美しさにあるようだ。ハイドンは1788年に個人的に初めてピアノ(シャンツ製作のスクエアーピアノ)を買っているが、人はいつの時代でも欲しいものを手に入れた時、とてつもない力が出るもので、その頃のソナタにはその思いが伝わってくる感がある。ちなみに今日演奏するハ長調ソナタは彼の第1回目のロンドン旅行の年(1791)に当地で出版されている。実は同じ時期、プレイエルもロンドンに滞在していて、なんと図らずもこの2人は会食したりお互いの作品を演奏しあったりして親交を深めている。プレイエルはハイドンに負けず劣らずヴォクスホールで人気があったようで、作品の登場回数では常に上位を確保している。そんな訳で、今日演奏するこのソナタ(1796)はもしかすると彼が1798年にヴォクスホールで演奏した際のプログラムにも載っていた可能性がある。ところでその人気の程を示す下世話な例を一つ。1791年12月から半年の間ロンドンでの滞在の後、その収入でストラスブルグ近郊に城を購入したのだそうだ。「半年で城が買える」人気とは相当なものであったろう、少しはあやかりたいなどと思ってしまう。また、この2人がロンドンにいた頃の演奏家にはクレメンティ、デュセック、クラマー、フンメルなどといった人達がいるが、私たちがピアノのレッスンを始めた頃の懐かしい人物が名を連ねていてワクワクしてしまう。
岩淵 恵美子
このコンサートのプログラム内容ははこちらです。

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