1997年のリサイタルのプログラムノート 曲目
リサイタルによせて
1790年、ハイドンがゲンツィンガー夫人にソナタを献呈するにあたり彼女にあてた手紙のなかに「・・・このソナタは永久に貴方だけのためにとっておきます。そしてあなたに是非とも贈りたいと想うアダ-ジョだけをたった今新しく書きげました。・・・」とあります。この書簡を読んだとき、このアダ-ジョを足非とも演奏してみたいという思いに駆られてしまいました。それが今回演奏いたします最後の曲、ハイドンのソナタ変ホ長調の第2楽章です。加えて、日々ハイドンを巡る音楽家たちと遊んでいるうちに今回のブログラムができあがりました。彼らの考えそして感じた音楽、すなわちその音楽を埋解する手助けとなるであろう自筆譜や初版譜に、また幸連にも同時に奏くことができる2台の楽器から教えてもらえる様々な表現に自ら感動し、今また心に触れるなにかをお伝
えできればと願っています。
ギャラントの変容、ドイツ宮廷音楽の夕べ
バッハ以降の鍵盤音楽に取り組んでいるうちに、いつとはなしに辿り着いてしまったと感じさせる音楽家がいる。あまり知られてはいないがJ.G.ミューテルである。残されている曲は多くない、がどれも一筋縄ではいかない、しかも珠玉の名作と呼びたくなるものぱかりだ。そう考えているのは何も私はかりではない。ちなみに当時'の有名な音楽評論家のC.バー二一は《ドイツ、オランダ、オーストリアにおける音楽の現状》(1773)の中で、ミューテルについてこう語っている。「ヘンデル、スカルラッティ、ショーベルト、エッカルト、C.P.E.バッハたちの曲に見られるすべての困難を克服した鍵盤楽器の生徒はもう何も克服するものがないことを嘆いている。彼らに対して私は忍耐と根気の練習のためにもミューテルを勧める。彼の音楽は新しい形、色、そして優美さ、工夫にあふれている。どうして彼をこの時代の偉大な音楽家に加えることを避けられようか。彼は作曲の天才であるばかりかクラヴィーアの演奏も素晴らしい。しかし、ドイツではあまり知られていない。」やはり当時ですら知る人ぞ知る存在だったのだろうか。友人のC.P.E.バッハがその後ベ一トーヴェンにまで影響を及ぼしたのとは対照的に、ミューテルはその寡作のためもあってか歴史の狭間に埋もれてゆくのである。
ところでミューテルがC.P.E.バッハに送った手紙の中にその寡作を弁明しているような、それでいて彼のポリシーを垣間見るようなものがある。なかなか面白いので少し引用してみる。「私は今大変よい精神状態にあります。音楽の構想はすでにあり、その上それを練り上げるための、もしくは霊感を出すための幸せな時間を持っているからです。というのも私は精神がそういった状態にならないのに無理に仕事をするのは好きではないし、この澄み切った精神状態は稀にしか起こらないのてすから。おおよそ常に作曲し続けているような人達は、知らず知らずのうちに己の精神を疲れさせてしまい、自分自身をもなくしてしまっているのではないでしょうか。結果、新しい試みは何もなくただただ過去の自分(作品)の操り返しにすぎないのでは、と。もし作曲家が精神の休息および回復をし、まったく新たな気持ちになれたなら、その人は新鮮なしかも強力な方法で表現するはずです。つまらない、眠たい作品はずっと少なくなるに違いありません。」このどこか飛んでいてしかも強情そうなところが彼の魅力なのかもしれない。ストイックなエピキュリアンとはまさにミューテルのようなロマンチストのことではないかとも思う。作品にもそれが良く現れていると思うのだがどうだろう。現実の私の生活とは比べるべくもないのだが、解釈が難しいことを除げば音楽、人物共々気に入っている。
岩淵 恵美子